星野仙一元監督逝去

 

 楽天イーグルスの元監督星野仙一さんが、1月4日膵臓がんのために70歳で亡くなられました。

 

 星野元監督は、わたしの出身地である倉敷市の高校「倉敷商業高校」から「明治大学」に進まれ、1969年にドラフト1位で中日に投手として入団されました。

 

 現役時代は気迫を前面に出すことから「燃える男」がキャッチフレーズとなり、特に巨人戦では闘志をむき出しにしたそうです。

 

 

 現役時代の成績は、146勝121敗34セーブを記録し、1974年には投手の勲章とも言われる沢村賞にも輝きました。

 
 

引退後は中日の監督に

 

 

 現役を引退されてからは、1987年に中日の監督に就任され、1988年には中日をリーグ優勝に導きました。

 その後1996年に再び中日の監督になり、1999年にも中日を優勝させました。

 
 

2002年から阪神の監督に

 

 

 2002年には阪神の監督になり、2003年には阪神を18年ぶりのリーグ優勝させました。

 

 このとき、ダイエーとの日本シリーズでは敗退し、日本一になることはできませんでした。

 

 これを境に、体調を崩して退任されました。

 
 

2011年から楽天の監督に

 

 2011からは、楽天イーグルスの監督に就任され、2013年に星野監督4度目の挑戦で、楽天を日本一に導き、東日本大震災の被災地の人たちに大きな喜びを与え元気づけました。

 

 

 これまで、中日時代に2度、阪神時代に1度リーグ優勝しましたが、残念ながら日本一を逃していました。

 

 監督時代は「闘将」とよばれ、選手から大きな信頼を受けていました。

 

 2014年に退任後は、楽天球団の副会長に就任していました。

 
 

2017年野球殿堂入り

 

 2017年エキスパート表彰で野球殿堂入りされました。

 
 

星野元監督のエピソード

 

 この記事は、私の友達 Ken Miyazaki が FaceBook に投稿したものです。

 

 小学生時代(昭和34年)に難病の同級生が修学旅行に行けないと知った星野さんは校長室に駆け込んで「S君を修学旅行に連れて行きたい。僕がおんぶしていくから」と校長先生にに直談判したと言う。

 

 校長先生は「S君のお母さんが同行できるのなら認めましょう」と、いきな計らいをしたという。

 

 S君のお母さんはインタビューで「星野君が校長先生に言ってくれたから息子は修学旅行に行けました。

 

 奈良のお寺では階段の上り下りはクラスのリーダー格だった星野君が息子をおんぶしてくれました。ありがたかったです」と少年時代の星野さんの優しさを語ってくれた。

 

 また、岡山市にある身体障害者施設旭川療育園に30年以上前から、毎年慰問に訪れ体の不自由な子供達に「Tボール」という障害者野球を普及し励ましてきた。

 

 星野さんは「子供達に励まされてきた。励ますんじゃなくて自分が励まされていると感じる」と語った。

 

 もうひとつの野球人 星野仙一がいた。

 
 

星野元監督みんなに元気を与えてくれてありがとうございました。